時代を切り開いたSONYのエポックなポータブルCD『D-50』が入荷しました

電話や音楽プレーヤー、テレビ、ゲーム機など、当初は据え置きで展開された「家電」が、後の技術の進歩により持ち運びが可能な製品へと変革を遂げると、それは「家電」という範疇を超えるセンセーショナルな出来事と言えるのではないでしょうか。今も現役の音楽メディアであるCDは、直径12cmのコンパクトな媒体ながらも、当初はレコードと同様、家庭で楽しむアイテムの一つであり、業界を牽引する企業の一つであるSONYからは1982年10月に据え置き型CDプレーヤーの1号機『CDP-101』が発売されました。そのポータブル化と言うセンセーショナルな出来事の扉を開くのはそこから僅か2年後の1984年11月。今回入荷したのは、そんなポータブルCDプレーヤーの時代を切り開いたSONYのエポックメーキングな製品『D-50』です。

同機種が生み出された歴史を振り返ると、SONYは1982年に『CDP-101』を発売した後、次なる新製品に向けて同社ゼネラルオーディオ事業部長の大曽根 幸三氏が、厚さCDソフトのジャケット4枚分5万を切る価格の「より小さなCDプレーヤー」という目標を提言、その実現に向けSONYの技術部では日夜改良が続けられていたそうです。後の83年秋には『CDP-101』のメカデッキ(演奏機構部)を10分の1もの大きさで開発する技術が可能となり、84年に原価率200%という採算度外視の価格で『D-50』は発売されました。

このD-50は、低迷した市場を予想以上に喚起する起爆剤となった。「これほど売れるとは思わなかった」と担当した当事者でさえびっくりするほどの売れ行きをみせ、原価率は1年半で改善され、黒字に転換した。このD-50によってCDの新しいマーケットが開拓された。各社のCDプレーヤーの価格が下がり、ソフトも一斉に売り出され、業界全体のCDビジネスも本格的に立ち上がった。
(引用:ソニーグループポータル | Sony History 第9章 石もて追われる大賀)

外観のコンディションは良好、近く近隣の店舗へ出庫予定です

通常カラーはブラックがラインナップされている同機種ですが、今回入荷のお品物は希少な「レッド」となっています。惜しくもコンディションは通電不良、ディスク読み込み不良の状態です。札幌のオーディオ専門修理業者によると、現在はパーツの調達が出来ず、修理するのは難しいとのことでした。通常使用は少々難易度の高いお品物となっておりますが、パーツをお持ちの方は修理用途に、またはオーディオ史に名を刻む名機としてコレクションの一つに加えてみるのも良いかもしれません。尚、SONYの公式サイトで公開されている同社の歴史を振り返る記事「SONY HISTORY」の第二部9章では、同機種が生み出された当時の記録が読み物として残されているので、興味のある方は併せてこちらも目を通してみてはいかがでしょうか。

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